본 인터뷰는 “히쓰지분가쿠 | 화병의 꽃을 소중히 여기는 록 스타” 인터뷰의 일본어 원문이다. | 질문, 정리: 신현준 hyunjoon.shin@gmail.com

 

1. 成果/努力

 

© 仁川廣域市

 

申鉉準 この一ヶ月以内、中国(XIHU)、日本(FUJI)、韓国(Pentaport)というアジアでかなり有名なロックフェスに続々と出演されますが、普通のことではないと思いますので、本当におめでとうございます!そのため、どんな努力をしてきましたか?どんなプランを立ててここまで来れましたか?「特にないです」とか言わないでくださいね(笑)!

塩塚 プランを立てたのは私たちではなく、スタッフチームですけど、いま思うと、多分、(台湾の)LÜCYとコラボしたところからなんじゃないかなと思います。基本私たちはそんなに考えず、 その場でできることをやっているだけかなと思います。

海外にはずっと行きたいと思っていて、先輩たちがいつもヨーロッパとか、SXSWのアメリカの日本ブースに行ったり(私たちもカナダに行ったことがあって)、(日本で)ロックで欧米に行く先輩たちはたくさん見てたんですけど、アジアに行く先輩っていうのは、身近にはいなかったです。もちろん昔を遡ればいっぱいいると思うんですけど、自分たちの周りのライブハウスの規模ではあんまりいなかったので、アジアに進んでいくっていうのは、 LÜCYとコラボがあったことが大きいかなと思います。

ゆりか 以前から、日本以外の国でリスナーが多いのはアジア圏の国だとデータでもわかっていたので海外へ行くならアジアからだと考えていました。
そこで台北でのワンマンをはじめに、短期間でたくさんliveをすることがリスナーを増やすためにも良いと考えました。

フクダ 音楽性的にも海外での活動を視野に入れていました。ヴィジュアル面でも語源が異なっていても視覚的に音楽を感じられる要素を取り入れる事を意識致しました。

 

LÜCYとのコラボレーションで2022年発表した “Oh, Hey” ミュージックビデオ

 

LÜCY(台湾)とNumcha(タイ)と台北のレガシーで一緒に共同公演『神仙組合』ポスター。

 

 

2. 成長/転換

 

塩塚モエカ © 仁川廣域市

 

申鉉準 羊文学のいままでのキャリアは3つの期間 1) 2016-18年(『若者たちへ』)、2)  2019-2020年(『POWERS』), 3) 2021-23年(『our hope』)だと感じでいます。便宜上、EPは除いて言った。ミュージシャン/アーティストから遠く離れた私のような人間にとっては、10代の若者が飛躍的に成長したというふうに感じています。アーティスト自身は、その成長過程をどのように感じていたのでしょうか。自然で順調な流れでしょうか?それともなにかターニングポイントみたいなものあったのでしょうか。 2ndアルバム前にSONYと契約したことと理解していますが、それだけが理由ではないと思いつつ。

塩塚 最初の『若者たちへ』より前、2013年くらいに作曲、バンド自体が始まっていて、そこから急に成長したなとは思わないですけど、さすがに作り始めた時よりかは曲のクオリティも上がってきたなと確かに思っています。その3つの期間に見えるのは、多分アルバムがあそこで出ているからそう見えるかなと思いますが、私たち的には、もし3つに分けるとしたら、最初の事務所(今いる事務所じゃない事務所)で育成期間、数年間いた時期と、そこを辞めて、3人と1人のスタッフでやっていた2年間と、 それから、ソニーに入って、たくさんのお仕事をいただけるようになってやっているここ3年、3つの期間に分かれていて、誰と一緒にお仕事をするかとか、 あとは、自分が学生かどうかっていうのも、どんどん、どんどん、変わってきているし、見えているものとか、自分の性格とかも、大人になって行くにつれて変わると思います。何が大きなきっかけ、例えば、タイアップとかはさすがに曲のクオリティが磨かれる出来事ではあるんですけど、 それよりももっと前に、自分自身がこの10年以上やっている中で変わってきてるから、曲も変わってるんじゃないかって思います。

ゆりか やはり20代になると人間的にも大きく変わる時期だと思うので、楽曲制作にも影響を与えてると思います。精神的にも身体的にも子供ではないが、成熟してるというにはまだ早いような、更にSONY契約した時には仕事として音楽をするということがどういうことなのかなどたくさんの人生の経験をしました。

フクダ 10代のインディーズ時代、テン年代。以前に羊文学を見つけてくれたA&Rマネージャーとの出会いの影響が深いです。自分自身は、バンドに加入して8年程経過し、様々なミュージシャン、音楽関係者さんと出会い非常に貴重な経験になっているかと思います。

 

 

3. ジャンル/サウンド

 

“光るとき”

 

申鉉準 昔ほど「ジャンル」が重要でないことは理解していますが、たまにそれをキーワードにして広げていった方がわかりやすい時もあります。1stアルバムは “シューゲイザー”、2ndアルバムは “(インディ)ロック”、3rdアルバムは “(ジェイ)ポップ”というふうに感じましたが、これらの変化について、もう少し詳しく説明していただけますか?そのジャンルの変化はどこから来たのでしょうか。芸術的な自律性とか一貫性とかなどをどのように考えて交渉してきましたか?私はあなたの音楽が大好きですが、2021年まで、「光るとき」や「マヨイガ」のようなアニメ主題歌や王道なポップソングも書けるとは想像もしていませんでした。でも、いまは上手にできていて、ただただ驚きました。この2、3年の間に、皆さんの心や人生にどんなことがありましたか?

塩塚 初めから全然どっちもできるって自分では思っていて、最初の『トンネルを抜けたら』というアルバムを出した時は、下北沢とかで小さいライブハウスでライブしていて、全体的にそういうのが(シューゲイザー)が流行っていて、周りにも多くて、私は別にシューゲイザーやっているというより、あまり日本のシューゲイザー好きじゃなかったし、 とはいえ、海外のシューゲイザーの感じと、自分たちの感じは全然違うって思っていて。

もっと歌が立ってない、溶け込んでいる感じがかっこいい音楽っていうのがシューゲイザーだと思っていたから、そういうことよりは、自分の気持ちが音になったらこうなるみたいな感じだったと思うんですけど。そういうのが流行ってたこともあって、シューゲイザーという風によくくられていましたが、私はそれが全然気に入らなくて(笑)。

私はもっとポップな曲もできるけど、最初に出たアルバムに6曲しか入ってないから、 その中にポップの曲が入ってないだけで、色々決められたくないっていう風に思って、目立つところだけはやっぱりピックアップされるじゃないですか。だから、いろんな曲を作っていくように、 『若者たちへ』の後なんですけど、『きらめき』と『ざわめき』というEPを出したんですけど、それは、そういう羊文学のポップなところとダークなところをテーマに2枚組で作ったりとか。急にポップなものができるようになったっていうよりかは、昔からできるって自分で思っていたかな(笑)。ジャンルは、あんまり共感されないんですけど、めちゃパンクとか、ポストパンクっていうか、そういう感じだと思っていて、それをどう表現するかですかね。

ゆりか『若者たちへ』は音楽をやりたいという当時の初期衝動をそのままストレートに音に出している気がします。迷いがなく強く、個性的な音をしてるなと今聞いても感じます。

『POWERS』はメジャーに入ってからの複雑な気持ちや迷いだったり、これから先の期待のようなキラキラしたものも感じ取れる、いろんな音が聞こえる作品だと思います。

『our hope』はメジャー二年目としてここでどれだけまだ聞いたことのない人たちに聴いてもらえるか、どこまで自分たちの魅力をそのままに、振り切って大衆に寄せていくか、そんなことを考えていました。

フクダ 1stアルバムは、初期衝動要素あるオルタナティブロックの印象です。2ndアルバムは、usインディロック等を取り入れた印象です。3rdアルバムは、オルタナティブロックとJPOPの両立を目指した作品になります。アルバム毎に毎回テーマがあります。様々なジャンルからの影響を独自に消化して更新して幅広い層の方々に聴いて頂きたいです。

 

 

4. 青春/生活

 

河西ゆりか © 仁川廣域市

 

申鉉準 私には娘が一人います、親の立場からすると、『若者たちへ』を聴くのは、反抗期の娘を見るようなものでした。『POWERS』のヒロインが、いい子を装う(でも何でも思い通りにする)大学生のように見えるのに対し、『our hope』は、すでに自立して都心で暮らすようになった同じ娘からの手紙のように聞こえます。

単に “女の子 “であることを超えて、自立するために苦闘したようです。”若者たち “や “Girls “といった曲からも、それを感じました。『若者たちへ』の絶望感から、『POWERS』の「元気とか活気あふれる力」(from ゆりか)を経て、『our hope』(「私の希望」でなければ、「私たち」とは誰なのか)を語るようになったこと、この流れについて、もう少し詳しく教えてください。

塩塚 単純に、大学生だったし、『若者たちへ』を出した時は、自分たちもすごい人気もなくて、「なんでうまくいかないんだ」みたいなむかつきもあったし、あと、やっぱり、人と違うことをしようみたいな気持ちも、今もあるけど、今よりもずっと強かったし。それが、『POWERS』と『our hope』くらいから、社会人になって、実感も出て、1人暮らしになって、自分で身を立てていかないといけないとかにもなってくるし、特にその展開を意識して作ってるわけでもないんですけど。

あと、単純に、『our hope』は、そのタイアップとかがあったから、これチャンスかなと思って、ちょっと変なこととかをやるみたいながもう一旦やりきったかなみたいな気持ちがその時はあったから、「じゃあ、たくさんの人に聞いてもらうっていうことに徹したらどうなるんだろう」っていうのをトライしたっていうことですかね。タイトルは「our」と「my」で迷ったりとかもしなくて、語感とかもあるだろうし、感覚で特に理由とかはないですね。

ゆりか 私たちは同じ人間であり一つの人生を過ごしています。これまでの作品を振り返ると、教授のいった通り、一人の人間の成長が見て取れます。

歌詞では、塩塚の人生の葛藤や喜びを表現して、音ではそれを感じ取った私たちが表現します。

普段の生活の中にも少しの光が見えてくるような、あまり気を張らずに、まあそんなこともあるよねくらいの小さな光になればようなと考えています。

フクダ 1stアルバム『若者たちへ』は、初期衝動、反骨精神、焦燥感、絶望感、自問自答、感覚、感性等を重視した作品になったかと思います。メジャー1stアルバムは、『POWERS』は、常識を疑う哲学的な要素、祈り。お守りの様な楽曲を扱うテーマの作品になったかと思います。メジャー2ndアルバム『our hope』は、都会的で非常にアクチュアルな作品になったかと思います。

 

 

5. ジェンダー/1990年代

 

“FOOL”

 

申鉉準 他の記事から得た情報ですが、「1990年代の影響」をベースに創作性やオリジナリティを培ってきたわけですよね。エレクトロニック・ミュージックに傾倒する若いミュージシャンが多い中、自分の気持ちを表現するために「ギターロックで歌う」ことを選んだ動機や条件は何だったのでしょうか? アジアでは音楽性がバラバラだとしても、ガールズ・バンドやガールズ・フロント・バンドが数多く誕生しています。メルボルンのTiva(彼女たちは日系人)やシカゴのHorse Girl(中国人が一人いる)などは、同じようなアプローチをしています。なぜアジアの少女たちはエレキギターを手にし、ワイルドで太い音を立て、並外れたメロディーを奏でるのか? 1990年代の音楽文化というリソースは、なぜ彼女たちにとってそれほど重要だと思いますか?

塩塚  エレクトロニックがほんとはやりたいんですけど、今もやりたいんですけど、時々作ったりもするし、でもギター持って始まっちゃって、それが止まらなくなっちゃって(笑)。

でも、エレクトロニックをやりたいなって思いながらギターやってるから、ちょっと変なバンドなのかなと思っていますけどね。

「1990年代の影響」はおそらくドラムのフクダくんが一番強いと思いますが、アジアの他の人たちのことそこまで知らないんですけど(笑)、その人たちが90年代を参考してるかもしれないですね。

でも、私は最初バンド始めた時に、コピーバンドをしようとして男の子と組んだんですけど、もう「私歌うね」ってなって、 でもいざやろうってなったら、「やっぱり女だから無理」みたいなこと言われて、まあそれはあんまり深い意味はなかったと思うんです。Bump of Chicken をカバーしようとして、女の子の声では無理だよねという意味で。でも、私はそれすごいムカついたんですよ。ポップカルチャーを見てたりすると、今調べればいっぱい強い女の人たちもいたんですけど、小学生、中学生では可愛い女の人たちしか入ってこなくて、 それがすごい嫌だなって思ってたから、「女だけどなめるな」みたいな気持ちでやってきたし、ガールズバンドフェスとかにも、インディーズとアマチュアの時、よく呼ばれるけど、割とムカついてやってました。男とか女とかも関係ないのに、結局そういうところには、可愛い女の子たちを見に来ている人、まあ、全員じゃないけど、いるっていう風に感じてたから。事務所に言われて、出たこともあったんですけど、当時はずっと、真っ白な衣装だったけど、急に、真っ黒な衣装で出たりとかして(笑)強い女の人の強さみたいなことは結構好きです。

ゆりか 90年代の日本は挑戦的で、なににでもトライしてみるという雰囲気があったように思います。失敗を恐れずに何でも実験的にやるそんな中で生まれる音楽に魅力を感じました。音も洗練されすぎてる訳でもなく、感情が先に出てきている部分が自分たちとのシンパシーを感じたのかもしれないです。

フクダ 90年代のサブカルチャー、シューゲイザー、ポストロック、ドリームポップ、オルタナティブ、サイケデリック、には、非常に影響を受けています。映画、文学に関しても影響を受けています。ニヒリズムを感じられます。シンセサイザーや打ち込み同期を使用しない理由に関しては、フィジカルな演奏を選択する事によってエモーショナルさや繊細な感覚、雰囲気がより鮮明に伝わる事が重要かと思います。記憶に残る様な音楽を意識しています。

 

 

6. シーン/サブカルチャー

 

フクダヒロア © 仁川廣域市

 

申鉉準 皆さんのインタビューで、塩塚さんは東京西部(おそらく東京23区外)で育ち、下北のライブハウスに通い、現在は新宿に住んでいると言っていました。フクダさんはリーガル・リリーのサポート・メンバーとして新宿JAMのスタジオに出演し(塩塚さんはそのビデオを見ていたと言っていましたね)、下北沢のガードアイランド・スタジオでゆりかさんと知り合ったそうですが、その間、特定の音楽シーンやサブカルチャーに属したことはありますか?

塩塚 下北は割とインディロックっぽいものが多くて、私たちいたのは多分2015年から18年くらいだったけど、わりと海外のバンドに憧れたインディロック、ちょっとチルな感じのやつがいて、でも後半、ほんとに 19年、18年になってくると、もっと強い感じのY2K系とかも流行ってたけど、ちょっと2000年代っぽいファッション、パンクっぽい感じのバンド、女の子は宅録の感じとかも、自分でレーベルをやっている人たちもいったかな。新宿はもうちょっとアンダーグラウンドな感じで、途中ジャムというライブハウスがなくなっちゃったりしたんですけど、ジャムとかred clothとか。ジャムはほんとアダルト系のイベントをやってたりとか、 かなりアングラなものが出てて、レッドクロスはちょっとサイケっぽい感じとか。吉祥寺とかはもっとほっこりした感じのバンドとかが多かったりとか、色々あるんですけど、私たちはあんまり巻き込まれたくないなと思って(笑)

下北のライブハウスによく出てたのは、そこのライブハウスの人がめっちゃよくしてくれたから。普通ノルマっていうのが測って、それがすごい高いんですけど、それをほんとに安くしてくれて、ほぼないくらいの感じでライブハウスに出させてくれたから、そこに出てて、そこの人達とすごく仲が良くて好きでしたね。

ゆりか 自分が育った場所が、横田基地という米軍基地の近くだったので、そこのラジオを聞いたり、ライブに行ったり、アメリカの文化に触れていました。

フクダ シューゲイザー、ドリームポップ 、マスロック、ポストロック、激情エモ、usインディ、オルタナティブ、プログレ、等に影響を受けた界隈のバンドをサポートしてライブ活動を行なっていた期間がありました。

 

 

7. 産業/交涉

© 仁川廣域市

 

申鉉準 『our hope』のレコーディングの中、「合宿」に行ったと言っていましたね。それはメジャーと契約したメリットの一つですね。しかし、その裏側、「合宿」を設けたということは、会社がバンドにかなりの投資をしてくれたということでも言えます。「会社のために何かしなければ」という気持ちもあったのでしょうか?つまり、完全な自己表現以外、「プレッシャー」を感じていたのでしょうか?もし「プレッシャー」が管理可能で、さらに何か新しく独創的なものを生み出すことを促進するものであれば、完全に悪いものだと個人的思いませんので。

塩塚 会社に対するプレッシャーはありません。自分が成功したいためにチャンスを逃したくないというプレッシャーはいつも感じています。

ゆりか 会社のためにという気持ちよりも、やっと自分たちがやりたいように集中して制作ができる、という気持ちが強かったです。

ちょうどコロナ禍でスタッフも現場にあまり来れなくて本当にメンバーとエンジニアさんだけで作っていました。それが自分的にはやりやすく、リラックスして制作できたと思います。

フクダ 「合宿」を取り入れた理由は、レコーディングにより集中しメンバー間でも近い感覚を共有し制作に取り組めた事がとても大きいです。2ndメジャーアルバムでしたので、メインストリームの歌物感ある音楽性とアンダーグラウンドの音楽性の両立を意識して、より沢山の人に聴いて頂きたい気持ちが非常にありました。

 

 

8. ライブ/レコーディング

 

2022年日本ツアー中の東京公演ライブ

 

申鉉準 1)『our hope』のようなアレンジの多い曲を、他の楽器奏者がいないステージでどのように演奏しているのでしょうか?

2) 中国のXIHU ROCKと日本のフジロックのような大きなステージで、どのようにそんなにタイトな音つくりできたのかを言える範囲で伺いたいです。

3) 今年のツアーで、どうやって異なる時期に作られた異なるスタイルの曲をセトリに入れていくのかを聞きたいです。

塩塚

1) 3人でできるようにアレンジを変えて演奏しています。

2) スタッフの皆さんを集めて事前のリハーサルを行い、腕のいいPAさんにお願いしました。

3) 色々な楽曲があるからこそ、緩急をつけながら、時間を旅するようなイメージで、セトリを組んでいきます。

ゆりか

1) ライブではライブ用の音作りをこだわっています。音源よりも強く太いサウンドで3つの音だけでも薄くならないように意識しています。

2) 音作りではお互いの音域が被らないように、それぞれの音がしっかり聴こえるようにPAチームとスタジオに入っていつもすり合わせています。

3) 曲は色のイメージで分けています。古い曲でも新しい曲でもその色が同じだと続けても自然になり、音もライブオリジナルで違和感がないようにアレンジしたりしています。

フクダ

1) ライブとレコーディングは、異なるアプローチで、ライブは、フィジカルでの演奏を意識しています。例えば、「光るとき」の原曲のドラムのタンバリンをライブでは、スネアのゲートリバーブの様な存在感で対応しています。「OOPARTS」のシンセサイザーの箇所に関しても、ドラム三点の入りのアレンジに対応しています。

2) PAさんの影響が大きいかと思います。マヨイガ、OOPARTS等の楽曲に関しては、ドラム三点をタイトに聞かせたいなどの要望を事前に共有してライブで再現しています。

3) 様々なジャンルの楽曲があるので、バランス良く曲順を組めたらと思います。初期の楽曲のアレンジに関してもアップデートしていけたらと思います。

 

 

9. アジア/ツアー

 

© 仁川廣域市

 

申鉉準 日本以外のアジア(中国本土、韓国、台湾、タイなど)を旅して感じたことをお聞きします。アジアの国や都市、人々はそれぞれ違うけれど、共通点があると感じましたか(例えば、「アジアはヨーロッパやアメリカよりも親密だ」という人もいれば、そうでない人もいます)? この質問が抽象的で、いろいろな角度(顔、ファッション、食べ物、交通など)から答えられることは承知しています。もしそうだとしたら、どこに惹かれましたか?それに関連して、新しいものであれ古いものであれ、アジアの(日本を除く)ポップス/ロックで面白い音楽を聴いたことがありますか?

塩塚 これまで行ったアジアの地域(台北、香港、上海、温州)は日本とは違って、私たちのパフォーマンスに対して積極的に声を出して、パワフルな反応をくれるイメージがあります。ただ、まだ行ったことがあるのは本当に一部なので、語れることは少ないです。

台北の交通系IC、悠遊卡が色々な形のキーホルダーとして売られているのは衝撃でした

アジアの音楽では、yeule(シンガポール)やイ・ラン(韓国)がすきです

ゆりか どの国でもやはり同世代の感覚は似ていると感じました。若者に人気の店やスポットはどれも魅力的で日本にあっても違和感のないものばかりでした。

アジアの音楽で面白いと思ったのは、民族の要素を取り入れている音楽です。特に中国は歴史が深い国なのでその分民族の楽器や歌が多く、それを今の音楽に取り入れているのがすごくかっこいいなと思いました。

フクダ インディロックが非常に魅力的に感じます。ナンバーガールに影響を受けたオルタナティブロックバンド「透明雑誌」が好みです。

 

 

10. 韓国/海外

 

“1999”

 

申鉉準 韓国のファンのために準備したこと(グッズ、ファンミーティング、他のライブなど)があれば、教えてください。ちなみに、ステージではどんな服を着るのか、何曲演奏するのか、曲と曲の間に少しですが韓国語で話すのか、スペシャルゲストは登場するのか、フェスでライブする以外に韓国で何をしたいのか。言える範囲で構いませんので、教えていただけますか。また、あなたのビジョンを教えてください。数年前にシングル1999をリリースしましたが、英語アルバムをリリースする予定はありますか?ヨーロッパやアメリカでのツアーの計画や試みはありますか?

塩塚 ステージでは、フジロックで着たのと同じ黒の衣装をきます。9曲で、少し韓国語で話せたらいいですね。韓国で友達にあったり、美術館に行ったり、ご飯を食べたり、ショッピングしたり、夜遊びしたり、したかったですが、残念ながらその時間はなさそうです。

淡々と一つずつ丁寧に作っていきたいです。英語アルバムの予定はないですが、ヨーロッパやアメリカにも行ってみたいです。

ゆりか 韓国でも、私達らしさを伝えたいです。特別なことを用意するというよりはどれだけいつものサウンドだったり自分たちの世界観をライブで表現できるか、を重視しています。あとは、私は辛いものが好きなので、韓国の辛い料理が食べたいです。

英語アルバムをつくる予定はありませんが、英語の曲は挑戦してみたいです。

計画はまだありませんが、ヨーロッパやアメリカにも行きたいです。

フクダ 衣装に関しては、シューゲイザーを体現、彷彿させる定番の黒シャツを着用しています。セットリストに関しては、韓国のファンの皆さんに相性の良い楽曲をセレクトしようかと思っています。

英語のアルバムのリリース予定は未定になります。ヨーロッパやアメリカでのツアー、機会があれば是非行いたいです。

 

 

11. おわりに

© 仁川廣域市

 

申鉉準 曲についての細かい質問もいくつかお届けしながら仕上げます。

 

1)「政治 思想 概念」の「曖昧な言葉」に飽きたというふうに歌ったと思いますが、「人間だった」はエコロジーのどの思想家よりも深く、反資本主義的ですらあると感じました。私は深く感動しています。皆さんが深く感銘を受けた本はありますか?

塩塚 星の王子様がすきです。

ゆりか 手塚治虫の「火の鳥」です。

フクダ 寺山修司/少女詩集、中島らも/アマニタ・パンセリナ、萩原朔太郎/萩原朔太郎詩集。

 

2)「春」や「絵日記」という曲の中で、塩塚さんは路上で野生の少女のように「ラップ」したり「叫んだり」する箇所がある。どんな激しい感情だったのか知りたいです。

塩塚 いろいろな、自分を縛るものへの怒りがありました

 

3) 三拍子を使った「予感」を初めて聴いたとき、ノイジーなギターが炸裂する前の1970年代の東アジアのフォークソングを聴いたような気がしました。現代のポップスやロックには珍しいリズムを使おうとする(無)意識は?

塩塚 三拍子はライブハウスの周りではよく使われていました。その名残りですかね。

フクダ ポストロックに影響を受けたサウンドを意識致しました。

 

4) 「mother」の歌詞が彼女の実体験を描いているでしょうか。もしそうでしたら、塩塚さんは母親との関係は良くなっているのでしょうか?歌詞を読みながら曲を聴いていると、不思議と解放感と空虚感が同時に湧いてきます。なぜでしょうか。

塩塚 「mother」は母との関係についての曲ではなく、母のように大きな海を感じる、という意味でつけました。コロナとのときに、他人がいない中で自分の存在の曖昧さに気づいて書きました。

 

5) 他にもたくさんある。でも、ここでやめておきます。ありがとうございました。新聞記事のタイトルを「花瓶の花を大切にするロックスター」にしようと思いますが、よろしいでしょうか。もっといいアイデアがあれば、代替案を提案してください。

塩塚 いいと思います!ありがとうございました。

フクダ 1stメジャーアルバム『POWERS』収録曲「ロックスター」の歌詞からの引用、有難うございます。良いかと思います。

 

 

About The Author

[weiv] 창립 멤버. 성공회대학교 동아시아연구소 조교수로 서울대학교 경제학과에서 “지구화 시대의 한국 음악산업”으로 박사학위를 받았다. 그의 연구 주제는 대중음악과 음악산업이고 최근에는 이를 도시 공간연구와 국제이주 연구로 확장하고 접속하고 있다. 주요 저서로는 [한국 팝의 고고학 1960](한길아트, 2005), [빽판 키드의 추억](웅진닷컴, 2006), [레논 평전](리더스 하우스, 2010), [글로벌 로컬 한국의 음악 산업](한나래, 2002) 등이 있다. 2006-7년 싱가포르국립대학 아시아연구소의 방문연구원을, 2008년 레이든대학교의 방문교수를 역임했다. 국제 저널 [Inter-Asia Cultural Studies]의 편집위원, [Popular Music]의 국제고문위원이다.

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